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広村堤防 つぶやき・クチコミ

エリア
和歌山県有田郡広川町
ジャンル
見る - 自然地形 - その他史跡・建造物

安政元(1854)年の大津波の教訓から、濱口梧陵が私財を投げ打って有志とともに完成させた大堤防。珍しい3段構えの防波堤は国の史跡に指定されている。

広村堤防のつぶやき

「広村堤防」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

広村堤防のクチコミ

広村堤防

漁村の近くにある古い盛り土で出来た堤防だが深い意味がある。 江戸時代に津波の被害にあった広村(現広川町)の復興のため被災者を雇用して私財を使った公共事業で作られた堤防なのだが。その後の津波でもきっちり機能して、広川町の町を守りました。

まいける160 さん (投稿日 08-01-06)

稲むらの火の館・浜口梧陵記念館

小泉八雲の書いた「稲むらの火」の舞台となった広川町に出来た、津波などの防災教育施設。 旧濱口梧陵邸と津波防災教育センターの二つの建物から出来ていて。防災の大切さを伝える。 個人的には迫力のある3Dシアターというよりも、濱口梧陵に興味が沸いた。 浜口梧陵 大量の藁の山に火をつけ、安政の大地震の2次災害「津波」から広村の村人を救った通称『稲むらの火』で有名。 そして、当時では最大級の広村堤防を作った。その際に『百世の安堵をはかる』と名言を残している。堤防完成の88年後、昭和21年(1946年)広村を昭和南海地震の津波が襲ったが堤防のおかげで被害を減らすことができた。さらに浜口梧陵の行ったこととしては、破損した橋を修理したことなどがあげられる。4665両という莫大な費用は全て梧陵が自腹を切った。このことを、小泉八雲は彼を『生ける神(A Living God)』と賞賛している。 ウィキペディアより

まいける160 さん (投稿日 08-01-06)

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