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京都府の「東山区」に関する観光スポット138件を紹介!
地酒や銘菓などの京都みやげが並ぶ店。店頭ではあんをカステラ生地で包んで焼いた「清水焼まんじゅう」を販売。あんは栗あん・桜あん・こしあんと季節ごとに替わる。
品揃え豊富なおみやげ店。店頭で販売する豆乳ドーナツは注文してから揚げてくれるので、いつでもふんわりホカホカ。手頃な値段で食べ歩きにぴったりのサイズがうれしい。
東福寺塔頭のひとつで通常は非公開。キキョウや紅葉の頃に特別拝観でき、特別拝観では精進料理(3000円、11:00〜14:00、予約制)を賞味することもできる。
昭和62(1987)年に閉鎖した京都の花月が、全国に笑いを届ける拠点として復活。人気の若気からベテラン芸人まで豪華出演者が目白押し。多くのファンで賑わう話題の新名所だ。
伊藤麻里さんが手がけるアットホームな料理教室。「カラダと心に優しい」をモットーに野菜をふんだんに織り交ぜた料理を提案する。
茶室に見立てた二畳の空間で抹茶を点てる体験とお茶会気分体験の2つの体験を味わえる。心地よい緊張感もあり、より一層抹茶を楽しめる。
明治〜大正時代にかけて活躍した七宝家・並河靖之の工房を兼ねた旧邸宅。宮家に仕えて審美眼を研ぎ澄ませた彼が極めた、緻密で優美なデザインの「有線七宝」の世界を堪能しよう。
五花街のひとつ宮川町に軒を連ねる町家で、憧れの舞妓姿に挑戦しよう。自毛での髪結いも大人気。半かつら使用。カメラを持ち込み自由(60分)に撮影可能。花魁・芸者・侍の着物レンタルもあり。
新橋通りから一筋南の白川沿いに、祇園をこよなく愛した歌人吉井勇の歌碑が立ち、「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」と歌が刻まれている。
美貌で名高い神功皇后を主祭神とする神社。内面の美も映すといわれる手鏡のお守りを授与してもらおう。
祇園、八坂神社、高台寺、清水寺といった、京情緒たっぷりの石畳の小路を案内してくれる人力車。乗り心地が良く、スタッフの対応も好評だ。
定員13人の少人数で、舞妓が接待してくれる席。京舞を鑑賞したり、抹茶や干菓子を味わったり、舞妓と一緒に記念写真も撮れるなど楽しいひと時が過ごせる。
後白河法皇が建立した法住寺殿跡に立ち、法皇を身代わりで救ったという不動明王の信仰で知られる。四季の花が美しい庭園があり、写経などが体験できる。
東福寺塔頭で「筆の寺」として知られる。11月23日に使い古された筆に感謝する筆供養(法要は14:00〜)が行われる。ほかの日は拝観不可だが、第1日曜(1日なら第2日曜)に写経可。
日本のうどん文化と伝統を伝える博物館。京町屋をイメージした純和風の建物で、全国のご当地うどんが食せる。
撮影スポットとして有名な巽橋近くにあるお社。技芸上達のご利益があるそうで舞妓さんや祇園の人たちが訪れる。境内の桜の木もフォトジェニック。
専属の着物アドバイザーらと一緒に約300着の中から好きな着物を選べる。プロの着付け師やヘアスタイリストが着付けとヘアセットしてくれ手軽な料金も魅力。
慶長元(1606)年、豊臣秀吉の菩提を弔うため正室のねねが建立。開山時の建物が現存し、紅葉とともに眺められる。ライトアップされ池に映し出される紅葉も神秘的だ。
東山山麓の高台に建ち、端整な大浴場が好評。閑静な周辺環境はいかにも古都らしい。名所めぐりも徒歩圏内という便利なロケーション。
慶応元(1865)年創業。四季折々の自然を伝統の技術で表現する京菓子を誰でも手軽に作ることができる。職人による丁寧な指導のもと、繊細な日本の感性を学ぼう。
清水寺への参道の一つ、二年坂にある観光案内所、トイレも利用できるのでちょっとした休憩にも便利。周辺の観光情報も入手できる。
創業180年の老舗織物店。西陣織の小物や1点ものの小物、カバン、ハギレが人気。系列のレンタル着物岡本では、気軽に着物レンタルも。
幕末・明治時代にその技術と芸術性において最も優れた、蒔絵、七宝、金工、京薩摩(焼き物)などを展示している。細かな細工や独特の風合いは見どころ十分。
座席数502席の会館で、古くから市民に親しまれている。よしもと祇園花月の公演や秋には祇園をどりが開催される。また京都国際映画祭の会場にもなっている。
商売繁盛や子授けのご利益に厚く、大丸百貨店の礎を築いた下村家の援助で立派な社殿が建立された。拝殿天井の立派な龍の彫刻は必見だ。
元治元年(1864)頃、龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太ら土佐藩士たちの居住地となっていたのが南大門の南・大仏南門通にあった河原屋五兵衛の隠居所です。ここに賄いとして住み込みで働いていたのがお龍の母・貞。ここで龍馬とお龍は出会いました。
京都最重要史跡の一つ!文久3年(1863)1月、久坂玄瑞、武市半平太らが集い、続く6月に桂小五郎、真木和泉ら各藩代表が集まり攘夷を話し合った「翠紅館会議」の舞台です。現在は料亭「京大和」となっており、運が良ければ同じ場所で京懐石が楽しめます。
元治元年(1864)8月初旬、龍馬とお龍が「内祝言」を挙げたのがここ。お龍の亡父・楢崎将作が青蓮院宮仕えの医師という縁で、住職智息院が仲人を務めました。しかし禁門の変直後の激動期で龍馬は東西奔走中。お龍は寺田屋に預けられ別居生活でした。
清水寺へと向かう産寧坂、多くの観光客が通るこの場所に、龍馬の定宿の一つ明保野亭があります。龍馬のみならず幕末の志士御用達の料亭でもあり、池田屋残党狩りに新選組が踏み込んだ「明保野亭事件」でも有名。龍馬御前はボリューム満点です!
龍馬が暗殺された現場に残されていた2足の下駄のうちの片方が「二軒茶屋中村屋」。創業450年になる老舗で、幕末には多くの志士が訪れました。明治後に「中村楼」と改称。現在は料亭として営業しながら、表では茶屋として名物の豆腐田楽が味わえます。
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