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岩手県の「平泉」に関する観光スポット40件を紹介!
西行桜の森の一角にあり、斜面にテントデッキが設置されている。周辺には遊歩道があり、駒形山への登山ができる。
世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」の魅力をパネルや映像などでわかりやすく紹介するガイダンス施設。発掘調査資料も展示している。
藤原秀衡が京都宇治の平等院鳳凰堂を模して建立した寺院跡。ここから見た西に金鶏山があり、春秋の彼岸のころ、その山頂に落日が見られるように設計し、浄土世界を体現したと伝わる。
文治5(1189)年、朝廷の圧力に屈した藤原泰衡が、源義経を急襲。義経が妻子とともに自害したと伝えられるのが高館だ。現在、山頂には義経堂や、資料館、芭蕉の句碑などが立つ。
創建当時の宝形造りだが、建武4(1337)年に火災で焼失後、古材にて再建。騎師文殊菩薩像と四眷属像、経典類は讃衡蔵に移されている。
毛越寺の東隣にある藤原基衡の妻が造営した寺院跡。舞鶴ヶ池を中心に史跡公園として整備されており、憩いの広場として親しまれている。
衣川の先人にかかわる歴史資料を多数展示。「衣川の夜明け」「安倍氏の興亡」「二元都市平泉と衣河」などのコーナーで時代順に解説。地元講談師による「歴史講談上演」(予約制)もある。
ニュージーランドの牧場をイメージして造られたリゾートファーム。乗馬の他、パンやソーセージなど手作り教室で楽しめる。
延暦20(801)年、蝦夷平定に赴いた征夷大将軍・坂上田村麻呂が、蝦夷の頭・悪路王を激戦のすえ打ち破り、蝦夷平定を記念して建立したと伝えられる毘沙門堂。脇に日本最北の磨崖仏もある。
中尊寺前に建つ平泉の栄華と伊達時代の平泉を紹介する私設博物館。すでに失われた毛越寺や無量光院、中尊寺二階大堂の復元模型を始め、絵画や伊達家調度品などを展示している。
宝形造りの阿弥陀堂で、藤原清衡が15年の歳月をかけて天治元(1124)年に完成させた。堂の内外に漆を塗り、金箔を重ねた絢爛さは一見の価値ある。
金色堂をはじめとする国宝・重要文化財の宝庫で、神秘的な静寂に包まれている境内の紅葉は実に見事。春と秋に開かれる「藤原まつり」では、郷土芸能や能が披露される。
正応元(1288)年、金色堂の保護を目的とした特殊な設計の覆堂。国の重要文化財にも指定されている。
慈覚大師円仁によって嘉祥3(850)年に開山された。敷地内いっぱいに広がる浄土庭園は限りなく美しく、緑と池の織りなす光景は平安の雅な世界を彷彿させる。
藤原期の様式を取り入れた近代的な造りの宝物館。国宝や重要文化財を約3000点収蔵し、仏像・経典・奥州藤原氏の副葬品など、貴重な文化財を拝観することができる。
平泉からも近い素朴なキャンプ場。サイトは狭いが、車の乗り入れが可能。コテージやケビンもあり、手ごろな料金で利用できる。
日本唯一の牛専門の博物館。前沢で育てられている前沢牛についてはもちろんのこと、人類が関わってきた牛との歴史や民俗学など、幅広いテーマをもって紹介している。
手軽に食べられるスナックから食事まで、前沢牛を使用したメニューが勢揃い。オリジナルキャラクターのポストカードも人気。
東北自動車道にあるサービスエリア。ブランド牛「前沢牛」によるメニューがズラリ。手軽に試せるスナックがあるのも嬉しい。
中尊寺の参道「月見坂」を上った総門跡付近に立つ「愛宕堂」は、別名「弁慶堂」とも呼ばれ、なぎなたを手に七つ道具を背負う巨大な弁慶木像が安置されている。
応徳4(1087)年から文治5(1189)年まで岩手・陸奥・出羽に勢力を張った奥州藤原氏。当時の政庁「平泉館」とされる柳之御所跡遺跡から発掘された国内初の印章などの貴重な遺物を展示。
中尊寺をはじめ毛越寺や無量光院跡など、奥州藤原氏が花咲かせた独自の浄土文化を色濃く残す景観が世界文化遺産に登録。時間が許せばじっくりめぐりたい。
金色堂をはじめとする国宝・重要文化財の宝庫で、神秘的な静寂に包まれている境内の紅葉は実に見事。春と秋に開かれる「藤原まつり」では、郷土芸能や能が披露される。
杉の古木に覆われて昼なお薄暗い神秘的な山中に、忽然と姿を現す古社。平泉を逃れた義経一党が3年3ヶ月滞在し、ここで、般若経600巻を模写したと伝えられる。
中尊寺のある関山丘陵の北側を流れる衣川を挟んだ田園地帯にある遺跡。平泉の栄華が一朝一夕にできたのではなく、胆沢城や安倍氏の繁栄や中央とのつながりが根底にあることを示す貴重な遺構。
古代から長きにわたり利用されてきた交通の要衝である白鳥舘遺跡は、平泉文化を支えた北上川交通のあり方を考えるうえでも貴重な遺跡。柳之御所・平泉遺跡群として国史跡に指定されている。
前九年の役で陸奥守・源頼義と争ったこの地方の豪族安倍の守護神をまつる神社。8月に行われる奥州ころもがわ祭りでは、子どもたちが練り歩くお石さま行列の出発地となる。
奥州藤原氏が平泉鎮護のため、一晩で築いたという伝説を持つ山。平泉文化のシンボルとされ、黄金で造った雌雄の鶏を埋めたことから金鶏山と呼ばれる。登山入口には源義経の妻子の墓がある。
平泉町内の観光地を巡回し、乗降自由の1日乗車券もある。運行コースは平泉駅前→毛越寺→悠久の湯→平泉文化遺産センター→中尊寺→高館義経堂→無量光院跡→柳之御所→平泉駅前となっている。
奥州藤原氏の政庁「平泉館」跡と推定される。発掘調査により、堀、建物、池などの遺構と共に膨大かつ多様な遺物が出土している。
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