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奈良県の「奈良」に関する観光スポット654件を紹介!
被葬者は孝徳天皇や皇極(斉明)天皇の母、吉備姫王とも言われている。一辺約40mの方形墳で、精巧な切石造りの横穴式石室がある。近鉄飛鳥駅近くの集落内にある。
真弓丘陵の一角にある24mの多角形墳。石室の構造が高松塚古墳やキトラ古墳と似ているため、壁画などの発見が大いに期待されたが、内部は真っ白な漆喰が塗られていた。
高松塚古墳の北側、静かな周遊道を行きついた先にひっそりとある。天皇陵の特徴である八角形墳で、文武天皇の墓ではないかという説が有力だが、明らかではない。
桜井市山田の山田道と呼ばれる古道沿いにある寺。蘇我石川麻呂が創建した。昭和57(1982)年、日本最古の木造建築の連子窓が発掘されたことでも知られている。
中大兄皇子を助けて蘇我氏を滅ぼし、大化の改新に貢献した藤原鎌足が生まれたとされる大原の里。西はずれの大原神社には、鎌足が産湯を使ったという井戸が残る。
石槨は巨大な岩をくり抜いて造られている。発掘調査により、対辺約22mの八角形墳であることがわかった。内部を壁で区切り、2人が埋葬されていた可能性がある。
桜井市や宇陀など周辺地域の観光マップや資料が入手できる。大型バスの駐車も可能で団体客も便利。
江戸時代初期の檜皮葺き楼門や、南北朝時代の十三重石塔などが残る、融通念仏宗の古寺。山門は大宇陀で最も古い建物のひとつ。
創建は永和3(1377)年。商家や町家が連なる街なかにあり、本尊は阿弥陀如来。本堂には聖徳太子立像が安置されている。
明治前期に建てられた桟瓦葺きの旧内藤家住宅。薬屋・歯医者として使われていた町家を改修した。
織田山城守高長が亡き父の菩提のため、寛永9(1632)年に建立。現存する建物はなく、織田松山藩主4代の五輪塔が残る。
江戸時代末期、毘沙門天を祀って建立。境内の裏手には四国八十八ヶ所霊場お砂ふみ道場もある。尾曽の山奥ゆえ、見晴らしも抜群だ。
城下町として栄えた高取町は、昔からの町家がそのたたずまいを残す。町家は連子格子が連なり、江戸時代に迷い込んだよう。
明治・大正時代の呉服問屋を改装した観光案内所。ギャラリーや特産品の展示販売なども行っている。
豊かな歴史や文化、体感できる観光情報を発信する交流センター。どこに行くか迷ったら、まずはここへ立ち寄ってみよう。
吉野山の桜の開花や紅葉の便り、イベントや最新ニュースなど、観光に必要な情報をゲットできる。
奈良・和歌山・三重にまたがる山々を結ぶ信仰の道。道は険しく、標高1500m級の山々が連なっている。
桜が咲き誇る夢を見た大海人皇子はのちに天武天皇となり、夢の桜を探しその下に7世紀後半に創建。境内を美しく彩るしだれ桜は必見。
金剛、葛城、二上山の麓を南北に延びる古道。大和朝廷よりも前に栄えた、葛城王朝の幹道であったこの道沿いには、葛城一族や鴨一族にまつわる遺跡が多く残る。
京を追われた後醍醐天皇が吉野山に入る前に滞在したのが賀名生皇居跡だ。茅葺屋敷は当時の面影をとどめ、皇居の扁額が冠木門に掲げられている。内部の見学は申込が必要。
標高約960mの高原。大和や河内平野が見渡せる。5月にはツツジ、秋には一帯がススキの大海原となる。自然探究路ではバードウォッチングや植物観察が楽しめる。
奈良時代に行基が開き、空海が中興したと伝わる古刹。裏山には、南北朝の戦いで倒れた兵士を弔う千体石仏が並ぶ。本尊の阿弥陀如来坐像は藤原時代のもの。
願い事をひと言だけかなえてくれる神様として「いちごんさん」の愛称で親しまれている。一言主大神を祀る神社で、境内には樹齢約1200年の大イチョウがある。
ホテル杉の湯に隣接する道の駅。柾波木芸品や柿の葉寿司、火打餅などの特産品を販売している。ホテルのレストラン山吹で食事ができるので、温泉とセットで楽しみたい。
近畿の屋根と呼ばれる台高山系の南端に広がる高原台地。海抜は約1500〜1700m。原生林に多種類の苔が生え、立ち枯れの木々は独特の光景を見せてくれる。
北曽木の丘陵を麓から中腹までおおう梅の数は約2万本。名所には吉野山の桜になぞらえた名が付けられ、淡い紅色や白の花が斜面を彩り、早い春の訪れを実感させてくれる。
自然地形と調和した建物で五條市の歴史と文化にふれることができる。実物資料に復原品・模型・映像を交え、通史に沿った見やすい展示形式をとり、歴史を身近に感じさせてくれる博物館だ。
高松塚古墳から南へ約1kmの丘陵地にある。発掘調査によって、飛鳥時代、白鳳時代の瓦や、伽藍、心礎などが見つかり、平安時代の作と思われる十三重石塔が建っている。
高さ約10mの竹で覆われたこんもりと丸い丘。仏教説話集『日本霊異記』には、雄略天皇の命を受けた小子部栖軽が、ここで雷を捕えたという伝説が記されている。
岡宮は草壁皇子の追号。明治時代までは、草壁皇子の墓と推測されていた。しかし後の調査で、草壁皇子の墓が別の場所にあると推定されたため、現在、被葬者は不明。
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