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島原城 つぶやき・クチコミ

エリア
長崎県島原市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

元和4(1618)年から松倉重政が当時の築城技術の粋を集め、7年の歳月を費やして築城。明治維新により一度は廃城したが、人々の熱意により復元された。天守閣内にキリシタン史料館がある。

島原城のつぶやき

「島原城」でつぶやかれたTwitterのツイートを掲載しています。

島原城のクチコミ

武家屋敷

島原城の西側、鉄砲町に下級武士の邸が集まっており、現在でも石積の塀と通りの中央を流れる清水が残り、3軒が無料で公開されています。

島の民 さん (投稿日 08-05-01)

島原城跡

【島原城跡】長崎県島原市 2007/08/22登城(No101)  元和2年(1616)松倉重政が4万石で入封、築城を開始、7年かけ寛永元年(1624)に完成する。本丸を中心に北に二の丸を配し高石垣で囲い、それを最大幅50mの大きな濠で囲っていた。二の丸と本丸の間には廊下橋でつないでいた。高石垣と濠で堅固な城だ。二の丸の北側には三の丸があった。さらに本丸、二の丸を囲む濠の外側には外塀がぐるっと囲っていたと言う。  本丸は名古屋城に匹敵する巨大さで、5層5階(33m)の大きな天守があがっていた。わずか4万石には巨大な城で圧制と飢饉やキリシタン弾圧とあいまって寛永14年(1637)島原の乱が勃発する。天草と島原の一揆勢が合流、城に攻め寄せたが堅固でもちこたえた。攻め落とせなかった一揆勢は原城址に籠城することになる。乱鎮圧後の寛永15年(1638)に2代松倉勝家は領民に反乱を起こさせた責を問われて改易(斬首されたと言われている)、最後は松平氏で明治をむかえる。明治9年(1876)城は破却される。  現在、本丸に天守(コンクリ)、櫓が復元され、濠、石垣も整備されている。二の丸は市役所になっている。 <交通>島原鉄道、島原駅から歩5分。駅から歩いて行くと濠にぶつかる、入り口は反対側なので左に行くほうが近い。左に行くと左の画像のように眺めがいいところに来るが濠側に歩道はなく細い道で車が危ない、壕際で写真を撮る場合は注意!入り口にたどりつくとなんと歩道がない!信じられないでしょうが本当!酷い。入口には駐車券の販売所があるが、歩行者は上下の車が通る同じ車道の橋を渡らなくてはならない。で近くてもタクシーがいいように思う。帰りは元の橋へ戻り右へ行けば二の丸(市役所)を廻って駅方向へ戻れます。こちらは壕側に歩道があって快適です。また二の丸の市役所へ抜けて行くこともできます。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-02)

島原 武家屋敷跡

島原城の西側に、築城のときに建てられた武家屋敷跡が残っています。 公開されている以外の住居は、現在も住んでおられる方がいらっしゃるので、表示の無い場所に勝手に入ったりされませんように。 пF0957-63-1087

vanilla ice no.7 さん (投稿日 08-03-29)

島原城

五重の天守閣をもつお城。 天守閣にはキリシタン弾圧を物語る数々の資料が展示されています。

kenken0418 さん (投稿日 08-02-09)

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