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亀山市歴史博物館 つぶやき・クチコミ

エリア
三重県亀山市
ジャンル
遊ぶ - アミューズメント - 博物館

亀山市の歴史がわかる博物館。常設展示室では「モノとの対話」をテーマに展示を行っている。企画展示室では年2回企画展を開催。毎月第3日曜は常設展の観覧料が無料になる。

亀山市歴史博物館のつぶやき

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亀山市歴史博物館のクチコミ

伊勢亀山城跡

【伊勢亀山城跡】三重県亀山市本丸町 2008/03/30登城(No127)  城は古く、伊勢平氏の流れをくむ関5家の宗家の居城があった。織田信長の伊勢侵攻では戦場になり、天正18年(1590)に豊臣秀吉に従った岡本良勝が入封後、本丸などを整備、再築城したという。関ヶ原後は関一政が3万石で復帰し亀山藩となった。だがその後移封され、代わって松平忠明が5万石で入った。大坂夏の陣後には松平忠明は摂津大坂藩に10万石で移封され亀山藩は廃藩となった。その後5家が7回も代わり、延享元年(1744)石川総慶(ふさよし)が6万石で入り、以後明治までつづく。  城は寛永13年(1636)に本多俊次が5万石で入封し整備・完成したとされる。小高い山の本丸を中心に北西に西出丸、西に西の丸、東に二の丸がありさらに三の丸があった。本丸の北東には池のような堀、二の丸の前にも池のような堀があった。石垣は少なく土塁が中心だった。本丸南西に天守台があり、その上の多聞櫓が現存している。本丸北東には天守代わりの3層櫓があがっていた。  現在、前記の堀も完全ではないが残っている。一帯は亀山公園となっており、亀山市歴史博物館も園内にある。なお明智光秀が本能寺へ出陣した丹波の亀山城(京都府亀岡市)とよく混同される。破却を命じられた堀尾忠晴が丹波亀山城と取り違えて、この亀山城の天守を壊している。 <交通>JR関西本線亀山駅から歩10分。緩い坂だがずーと登っていくようで距離が長く感じる。 <写真左・中>天守台の多聞櫓 <写真右>本丸北東の堀と3層櫓があった本丸北東部

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

伊勢亀山城・縄張り図

 公園にあった案内板です。往時は大きな城だった。現在は本丸と西出丸があるようです。

kenken0418 さん (投稿日 08-04-01)

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