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金山城跡 つぶやき・クチコミ

エリア
群馬県太田市
ジャンル
見る - 史跡・建造物 - 城・城址

戦国時代、難攻不落を誇った新田氏の居城跡。平成4(1992)年から発掘調査が始まり、中世の関東の山城では珍しい、石垣や石敷きを多用した城であったことが判明した。

金山城跡のつぶやき

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金山城跡のクチコミ

金山城跡

【金山城跡】群馬県太田市金山 2008/09/21登城(No139)  文明元年(1469)頃、新田一族の岩松家純によって築城されたとされる。享禄元年(1528)頃には横瀬(のち由良と改姓)氏が入る。永禄6年(1563)に武田信玄、翌7年(1564)には上杉謙信の攻撃を受け撃退するなど難攻不落を示し、関東7名城(川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、常陸の太田城)のひとつとされていた。  しかし天正12年(1584)には城主由良国繁が北条氏政により小田原に誘い出され捕らわれ、その解放を条件に城は北条氏のものとなる。天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原征討後に廃城となった。  標高235.8mの金山に築かれた山城で、最高所に本丸を置き、二の丸、三の丸を配し、また尾根に各曲輪を配置した大規模な山城だ。関東では珍しい大規模な石垣で囲んでいて、堀切があり尾根を利用した曲輪を配し、防御に優れた城だ。この本丸を中心とした中枢部を実城(みじょう)といい、大手虎口の手前に月ノ池、二の丸下の水の手曲輪には日ノ池(石組で囲んだ直径17mの池)がある。北側には北曲輪、西の尾根づたいにも曲輪があり、南の峰には砦(出城)がある。  現在、実城だった所を「史跡金山城跡」として整備されている。西の曲輪跡駐車場のあたりまでタクシーで行きます。そこから尾根づたいに本丸をめざします。途中、石が敷かれた道です。堀切、物見台下虎口には石垣が復元されています。物見台跡には鉄骨の櫓があり、登ると眺めがいいです。  馬場曲輪を通り、大規模な堀切をくだると月ノ池があり、その先が大手虎口です。大手道の左右は石垣があり、実城への入口ですから厳重な囲いです。左右は石垣を使い階段上に展開した曲輪です。正面には高い石垣が聳えています。石垣の右側の上(三の丸)に金山城碑と模型があり、眺めがいいです。下には日ノ池があり、さらに二の丸、本丸へとつづきます。本丸は新田神社になっており、木々が茂り眺望は悪い。裏側には古い石垣が残っていました。 <交通>東武伊勢崎線太田駅からタクシー\2000。歩きは無理です。帰りは駐車場から歩いてくだりました。登ってきた車道をおります、ちょっと車が来ると怖いです。石が露出していて石が豊富な山だと感じました。(新田)義貞院がある金龍寺まで45分、そこからタクシーで太田駅に戻りました。 <写真左>物見台下虎口 <写真中>大手虎口を入ったところ <写真右>金山城模型、碑

kenken0418 さん (投稿日 08-11-10)

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